産後の里帰りのため1か月の生活費渡したら1日で全部すった話。

今日子供と一緒に夕方のEテレ『デザインあ』を見ていて、この声どこかで聞いたことある。と思って、『家売るオンナ』の白洲美加の旦那さんだ!って思って調べたら、本当にその俳優さんで、ちょっと嬉しかったです。

わんそ
わんそ

そんな余談もはさんでいきます。わんそです。

あそ。

今日は2つ目のエピソードを書いていきます。2つ目といっても、私の書いていく記事なんですが、エピソードを書く順番は時系列ではありません。日記を記していたわけではないので、思い出した順にメモしたのを、書きやすそうなものから書いています。

それは上の子が産まれた時のことでした。

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私が母親になった日のこと。

私たちの第一子である上の子。もちろん私も夫もそれはそれは生まれてくるのが楽しみでした。当時私は節約も今ほどはしていなかったので、いるもの余計なもの色んな物を買いそろえて準備万端。いつでもどうぞで、予定日あたりに初産にしては短い時間で、ベリー安産で生まれてきた上の子でした。

夫はその日仕事があって、私は一人でだんだん強くなる陣痛に耐え、病院へも大きい荷物を持って一人で行きました。夫には連絡してあって、生まれるのがもっと夜になると思ったので、早退はしなくていいと伝えました。病院に着いてからも数時間、病室で強烈な陣痛と一人で戦い、いよいよ分娩室へ。次の陣痛が恐怖なほどの痛みで、私は早く陣痛から逃れたかったため、何が出るのも恐れず全力で上手にいきんだため、産科医の先生が分娩室に到着するのも間に合わなかったくらいで。しかし無事に出産しました。夫は仕事が終わって、出産には間に合わなかったですが、まだ分娩室に寝ている間に着きました。元々立ち会ってほしくなかったこともあって、本当に何もかも段取り良くできて、私ってラッキーなのかな、全部思い通りだと思ったほどでした。

思い通りだったのその時だけな。

しばらく分娩室で過ごした後、赤ちゃんは一旦預けて私は病室に入り、夫は確か次の日から2日ほど休みをもらえたから、また明日来るねとすぐに帰ったと思います。

当時、私はまだパチンコ依存症を知らなかったので、現金をたくさん渡すこともありました。

私は産後は退院したらすぐ実家に1か月ほどお世話になると決まっていました。夫は家事は全くできないので、実家の母も産後は十分に休んで赤ちゃんの世話だけした方がいいと言っていて、快く引き受けてくれました。

ただその間、夫がある程度の家事をやらないといけないというのはとても心配でした。掃除はしないだろうし、ご飯も全部買ってきて食べるのだろうと思いました。

パチンコ依存症がどんなものかを知っている今だったら、私は里帰りしなかったか、1~2週間で夫の住む家に戻ったかもしれません。それに、私がいない間の買い物等のやりくりができるか、もっと考えてあったと思います。

夫は非常にめんどくさがりなのですが、それでも無洗米を買っておいてご飯だけは簡単に炊けるように教えておくとか(教えてもやらないと思いますが)。とにかくご飯はすぐに食べたいという人なので、その期間はしょうがないので、レトルトや冷凍食品やカップ麺などたくさんそろえておくとかすればよかったと思います。

一番問題なのは、お金です。夫が1か月これだけでいいよという分が6万だったので、6万渡しました。今だったら、生活に必要な買い物はカードかスマホでキャッシュレス決済にしてと言っているところです。

そして夫は1か月過ごすのに必要な現金6万円を手に入れました。

まさか?

初めて父親になった日、夫はパチンコに行きました。

普段なら、閉店まで2~3時間しかないような時は行かないのですが、その日は自分の子供が生まれたという人生で一番と言っていい、おめでたい特別な日でした。前の記事に書いたように、いいことがあった日は夫からすれば運気がいい日で、その運気に乗っている間にパチンコに行こうと考える日です。しかもその日は夫の財布には6万円が入っていたのです。

わんそ
わんそ

行くに決まってます。

次の日の早く、夫は前日言っていた通り夫の父と共に病院にやってきました。病室に来たときはもう新生児室の子供をガラス越しに見てきたと言っていました。それで、ついでに一応私の病室に顔を出してくれたのでしょう。最初からそわそわした様子で、いすに腰掛けることもなく、3~5分くらいで父と一緒に帰って行ったのを覚えています。

よく聞く言葉ですが、私は子供を産んで人生観がとても変わりました。自分の人生はあきらめてもいいけど子供にだけは幸せになってほしいと今も思っています。自分の時間だって大事な物だって大好物だって子供が欲しがれば全部あげてもかまわないです。

しかし夫は変わりませんでした。夫がいつからパチンコ依存症だったのかはわかりませんが、あの時もうすでにパチンコ以上に夫を惹きつけ、動かせるものはなかったのだと思います。

夫の使い込みがわかったのはとても早かったです。

新生児室の前で、「お金もうない。」

朝来てすぐ帰ったと思ったら、その日の午後また、今度は一人で病院にやってきた夫。やっぱり自分の子供は何回も見たくなるのかなと思っていました。新生児室の前で話をしていて、私は一か月6万円で本当に足りる?的なことを聞いたと思います。夫はこの前まで6万円で十分と言っていたのですが、急に「足りない。」と言い出しました。

私「いきなりなんで?6万でいいって言ってたよ。」

夫「足りない。」

私「・・・・なんで?」

夫「お金もうない。」

その頃は夫に怒ることなどなかった私は「え~!使っちゃった?パチンコ?全部!?」と苦笑いくらいで言いました。大きな声だったつもりはないですが、周りに他の人もいたので夫は顔を真っ赤にして「し~!」という反応をしました。

この反応、自分のしたお金の使い込みを恥じているのではなくて、負けたことを周りにいる赤の他人に知られるのを恥じているのだと直感でわかりました。今でも負けたとは絶対言いません。悔しいときは「もうやめる!」とか自分が主導権を握っているような言い方をします。だから私は負けたんだなと思っても何も言わないようにしています。刺激しないように。

何のプライドなのでしょうか。

この時も私は、やっぱりこの人変だなこれから大丈夫かなと不安になりました。すぐそこのガラスの向こうに、生まれたばかりの子供がいるというのに。

大丈夫じゃなかったもんね。

話を聞いたら、夜行って少し勝って、次の日もイケると思ったらどれだけ突っ込んでもだめだったみたいです。

夫が使うこの『勝った』『負けた』の言い方も、私はパチンコに行ってる時点で負けてると思っているので嫌いなんですが、わかりやすいのでこのブログでは使います。

子供が生まれても、パチンコ依存症は治りません。

私の手元には、分娩室で夫が上の子を初めて抱っこした時の写真が今も残っています。夫が目じりにしわを寄せてとても嬉しそうに上の子を見つめている写真です。嬉しくないはずもなく、かわいくないはずもありませんでした。

今も子供を愛しく思っているのは間違いないのですが、時間とか機嫌とかの都合で、夫と子供たちの間に、隔たりを作るのはいつもパチンコです。同じ立場の親なのに、私と夫は横に並んで同じように子供を見ているべきなのに、夫はそうできません。子供たちは、自分のお父さんが他の多くの家のお父さんと質が違うことをまだわかっていないと思います。この先、気付き始める子供たちへのケアも私の課題の一つになります。

夫については、人生の大きな節目にもけじめをつけることができないことが立証された第一子誕生でした。

GWなので、いつもより夜更かししてブログを書けます。お読みいただきありがとうございました。ではまた。

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